あらゆる人の話を聞き、繋がりを大事に。鳥栖市長 橋本康志 さん

      Tsunagu鳥栖Vol.13「橋本康志さん」

皆さんこんにちは!!鳥栖PLUS編集長の私、中島重人(@shigehito0505)が鳥栖でキラキラ輝き、活躍する人を取材し繋げていく企画「Tsunagu鳥栖」

第13弾はなんと!鳥栖市長の橋本康志(はしもと やすし)さんにお話を伺いました。

鳥栖市長 橋本康志(はしもと やすし)さん

今回Tsunagu鳥栖では、鳥栖市長を務められている「橋本康志」さんという人物のお人柄を知りたくて、インタビューをお願いしました。

鳥栖市の隅から隅まで自転車で走り回った少年時代

橋本さんは昭和31年生まれ。生まれてから大学進学で関東に行くまでを鳥栖市で過ごします。「橋本さんはどんな少年でしたか?」とお聞きすると、

「当時の鳥栖は見渡す限り田畑(でんぱた)が広がっていました。知らない道を自転車で走り回るのが好きで、鳥栖市の隅から隅までを走り回りましたよ。だから、時々職員と車で移動している時は、私の方が道を知っているから、運転かわろうか?と、つい言いたくなるぐらいです(笑)。今のようにあちこちに遊具が揃っているわけでもないので、自分で山に竹を切りに行って竹馬を作っていました。どんどん長くなって、最後は家の屋根から乗るぐらいの竹馬を作ってましたよ。」

現在の、九州の交通の要として発展がめまぐるしい姿からは想像が出来ない景色ですね。

鳥栖市の好きなスポットを教えてください

「子どもの頃、よく登っていた-杓子ヶ峰※しゃくしがみね-ですね。-杓子ヶ峰-から望む筑紫平野の姿が大好きでした。自分で木を削って作った草スキーを持って-杓子ヶ峰-に滑りに行っていましたね。」

編集部の皆が「木を削って草スキーを手作りされていたのですか?」と驚いていると

「うん、遊びたいから自分で作る。遊びは自分で作っていましたよ。あるものを買って遊ぶのも良いけど、自分で作って挑戦すると、もう少しこうすると良くなるかな?とか感覚で分かってくる。昔ならではの話かもしれないけど、探せばなんでもできあいのものがある今の時代だからこそ、そんな感覚が大事じゃないかと感じますね。転んで転んで、小さい怪我や失敗を繰り返して、どうしたら危ない。どうしたら自分の身を守れる。そんな繰り返しを経て成長していくんですよね。」

橋本市長・・・、いや、橋本さん、とっても面白い(笑)

大学、就職は関東 その後 鳥栖にUターン

大学進学を機に、橋本さんは関東へ。そしてSE(システムエンジニア)として社会人になりました。しかし、幼いころにお父様を亡くされ、お母様が鳥栖にひとりでおられた事。また、お子さんの「子育て」を考えたときに「鳥栖市で子育てしたい」という想いもあり、鳥栖にUターンされます。鳥栖に戻られてからは、ご縁があり地元企業に就職されます。

鳥栖駅前のまちづくりを機に、市長を志す

鳥栖市にUターンした橋本さんが「市長」を志したきっかけ。それは「鳥栖駅周辺の再開発」だったそうです。今、鳥栖駅前のショッピングモール「フレスポ鳥栖」がある場所は、以前は「日本専売公社※現在の日本たばこ産業」の工場がありました。しかし工場が撤退し、まちの元気がなくなってきている姿を目のあたりにした橋本さんは「鳥栖駅前をもう一度元気にしたい」という想いに駆られます。そこで、商店街の皆さんや鳥栖駅周辺の区長さんらが一緒になって「鳥栖駅周辺開発推進協議会」を立ち上げ、橋本さんは事務局長を担当されます。その後15年ほど、鳥栖駅周辺の再開発に向けての協議を繰り返していく中で、地域の皆様からの要望を受け、市長選に挑戦する事になったのが、現在の橋本市長誕生のきっかけとなったそうです。

市長としてのテーマ・思い

橋本さんの「市長」としてのモットーをお聞きしました。

「とにかく、あらゆる人の話を聞くという事。それが、より良い判断に繋がると信じています。大事な決断をするときは3回自分に問いかけろと私も学んできました。そこに、私心はないか?自分の私利私欲の為になっていないか?本当にみんなの為になるものなのか?この3つを自分に問いかけて決断するようにしています。そして、決断して実行したならばネバーギブアップ、あきらめないことが大切ですね。」

市役所は「駆け込み寺」

「市民の方々が、市役所を訪問する機会というのは平均して3年に1回。結婚や転入転出、大きな買い物をする時の納税証明など人生の転機にしか来ない場所。職員さんにとってはルーティンワークであっても、来られる皆様にとっては大事な手続き。そういう意味では、役所は「駆け込み寺」なんです。絶対に慣れで仕事をしてはいけない。新規採用の職員には相手の立場になって対応するように伝えています。私の息子にもよく言っていますが、あなたがいてくれて良かったと、一人でも多くの人に言ってもらえる仕事をすることが大事ですね。それがきっと、巡り巡って自分を助けてくれる事に繋がっていくと信じています。そんな繋がりが広がっていくと、素晴らしいまちになっていくと思いますよ。」

息抜きは、奥様との農作業や音楽鑑賞・美術館巡り

日々多忙な橋本さんの気分転換のひとつ、それは奥様との農作業だそうです。取材をした7月だと夏野菜。きゅうりやトマト・茄子・落花生・生姜など。帰宅後に22時頃までヘッドライトを点けて作業することもあり、何も考えずにただ作業に没頭できるのが息抜きにつながるそうです。

他にも演奏会や美術館巡りをされるのも好きだそうです。実は橋本さん、昔の夢は「ピアニスト」になる事が夢だったのだそうですよ。2011年から3年間実施された「ラ・フォルジュルネ鳥栖」は、そんな音楽への想いもあって取り組んだ事業でもあるそうです。

鳥栖PLUSをご覧になっての感想と、アドバイス

「鳥栖の良さを掘り起こそうという気概をとても感じる記事なので、楽しみに拝見しています。ぜひ、この路線で続けて欲しいと思います。鳥栖にはひとりひとり色々な分野で頑張っている人たちがたくさんいます。そんな人たちを鳥栖の応援団として取り上げてほしいですね。」

とても有難いお言葉、ありがとうございます。鳥栖PLUSを継続して今年で5年目。少しでも皆様に喜んでいただけている存在になれている事を嬉しく思いました。

鳥栖市の未来へ向けて、橋本さんの夢を教えてください

「鳥栖市は様々な地域との交通の要として生きてきたまちです。鳥栖市に何らかの形で関わってきてくれた人たちのネットワークが世界中に広がっていく事が、鳥栖市をますます素敵なまちにしてくれると信じています。」本当に、橋本市長の言葉には「人と人の繋がり」を大事にしたいという想いがこもっているなと感じますね。「そう、最後に残るのは、人と人の繋がりだと思いますよ。」

鳥栖市役所の入り口には、こんな看板が立っています。「鳥栖市民に役立つ人のいる所」、まさしく「駆け込み寺」ですね。何だか、橋本さんの話を聞いて「市長」「市役所」という存在がとても身近になったように感じました。

取材を終えて

当初とっても緊張していたのですが、冗談でほぐして下さったり、私たちの目線にたってひとつひとつ真摯に質問にお答えいただいたおかげで、楽しくお話を聞かせて頂く事が出来ました。普段「鳥栖市長」という言葉を聞くと、雲の上の存在のように思えてしまいがちですが、途中から編集部の皆「橋本さん、橋本さん」と「鳥栖の素敵な先輩」に話を聞いているような雰囲気になっていました。魅力あふれるお人柄に触れられた、素敵な時間でした。

橋本さん、お忙しい中お時間を作って頂き、ありがとうございました♪

そして、せっかくなので鳥栖PLUSスタッフでも「鳥栖市」を背景に写真を撮って頂きました。今後も、このメンバーで鳥栖PLUS盛り上げていきます♪

Tsunagu鳥栖⑬あらゆる人の話を聞き、繋がりを大事に。鳥栖市長 橋本康志 さん

記事:中島重人
写真:磯野弘年
編集部:大塚玲子・中島加奈子

この記事を書いた人

重人プロフィール
         

:中島 重人

鳥栖PLUS 編集長

14歳の頃から22年以上、河川活動に取り組む。Good Newsという団体で筑後川のゴミ拾い活動や自然体験活動を行っています。 家族は妻と長男、そして一卵性の双子の長女と次女の5人家族。2018年、地域プロジェクト「鳥栖PLUS」編集長を務めさせて頂く事になりました!楽しみます! ◆ブログ https://goodnews-0215.localinfo.jp/

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