【編集長コラム】ゴミ拾いーご縁を、夢を、未来を拾って来たー

     

 

 

皆さんこんにちは!鳥栖PLUS編集長の中島重人(@shigehito0505)です。

 

先日、河川協力団体Good Newsの10周年記念式典があり、鳥栖PLUSの皆にも取材してもらいました。

 

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【河川協力団体 Good News】~これからの時代にGoodなNewsを~

 

温かい記事をありがとうございました!沢山の人に来場頂いた笑顔溢れる式典になりました。

Good News10周年式典を終えてから、皆の後押しもあり、今回編集長コラムとして僕が22年間携わって来たゴミ拾い活動について振り返りながら書かせて頂く事になりました。

~ご縁を、夢を、未来を拾って来た~

今改めて思うと、僕はゴミ拾いをしながら「ご縁を・夢を・未来を」拾って来た、摘んできた、頂いてきたんだなと改めて感じています。

僕の生まれは福岡県久留米市。生まれてすぐ父の仕事の関係で太宰府市に引っ越しました。でも、父方も母方も実家は久留米。祖父は筑後川の花火大会実行委員長を務めていて、梅林寺の近くで飲食店を経営してました。梅が満開の時期は、ぜんざい用の餅を七輪で焼くお手伝いをしに行ったりしていたので、週末は久留米にいる事が多かったです。僕にとっては久留米、太宰府が「ふるさと」なんです。

 

なかでも一番好きなふるさとの景色があります。夕暮れ時、脊振の山に太陽が沈む頃、空は茜色に染まり筑後川はキラキラと輝き出します。今も昔も変わらないその情景。筑後川で一番好きな景色です。今でも家族を連れて時々眺めにいきます。

ゴミ拾い

-夢が始まったのは1996-

22年前の1996年。僕はどこにでもいる、ちょっといたずら好きな(笑)中学2年生でした。ある日、当時住んでいた太宰府市の御笠川沿いを自転車で走っていると、親友達が川に降りて何かしていました。「何しよっと?」「ゴミ拾いだよー。重ちゃんもせん?」。そんな何気ないやり取りがすべてのはじまりの瞬間でした。でも、当時「ゴミ拾い」と聞いて最初に思ったのは「面倒くさい」という、何とも素直な反応だったんです。だって、そうでしょ?ゴミ拾いですよ(笑)

川に入ると匂いは酷いし。ゴミは沢山。1時間ちょっと活動して、あっという間にゴミ袋は満杯。仲間達と一緒に川の中で遊ぶような感じなら良いかと参加してみたのですが・・・。とてもじゃない!更に、追い打ちをかけるように気持ち悪い出来事が・・・。

 

御笠川でゴミを拾っていると、沢山の人が話しかけて来ます。「おはよう!」「こんにちは!」「ありがとう!」それも、みんな飛びきりの笑顔で・・・。思春期の僕にはそれが恥ずかしくて不思議で・・・。「何でこんなにみんな話しかけて来るんだよ」って思ったぐらい。ゴミ拾いには不思議がいっぱいでした(笑)そんなきっかけでしたが、何気に継続して参加していました。

-カエルのスイッチ-

中学校を卒業。高校~あっという間に大学生。一緒にゴミ拾い活動していた仲間達もそれぞれの道を歩き出し、活動は自然消滅になりました。そんなある日「御笠川」を歩いていたら、ある感情が心に浮かびました。

 

「大分汚れたな~」

 

いつも活動していた川にゴミが落ちているのを見たらとっても淋しくなりました。そして、、在る存在に気がつきます。そこにはカエルと川の絵が描いてあって「カエルが気持ちよく泳げる綺麗な川にしましょう。小学2年○○○子」と手作りのポスターが貼ってあったんです。

 

きっと川を綺麗にしたいっていう気持ちで行動に移してくれたのだと思います。僕はそれを見てとても感動し、絵に向かって「ありがとう」ってつぶやいていました。

 

その時に「ハッと」気がつきます。

 

僕らが活動していたときに沢山の人たちが笑顔で話しかけてくれてたのも、同じような感情だったのかなって。「もしかして、あのありがとうは、街を・川を綺麗にしてくれてありがとう!」という意味だったのかな。「何だ、みんな無関心そうに見えるけど、自分が住んでる街が好きなんだな。」自分が住む街の事を考えてみるという気持ちが育まれたのは、その瞬間でした。

 

きっと僕が今も活動を継続しているのは、この時のきっかけが大きいのだと思います。僕の心を動かしてくれた「カエルのスイッチ」。

伸びようとする芽を摘んでくれる大人がいる素晴らしさ

それから、21歳の頃に地元の親友達や太宰府市内の友人達と実行委員会を結成し、「みかさがわピカピカ大作戦」という一斉活動を企画しました。イベント当日は、2つの河川に約500名の方が集まって下さりました。

 

その日の経験が、今のGood Newsの原点となっていますが、そこには沢山の皆さんの存在がありました。「伸びようとする芽を摘んでくれる大人」が沢山いた事です。

 

知識も経験も無い20歳そこそこの学生が「街を良くしたい!」と声を大に叫んだ時、多くの大人達が僕らを支えて下さいました。「◎◎さんに合いに行くと良いよ」「ゴミを運ぶトラックはあるの?じゃぁ俺が出してやるよ」と。あれよあれよと、人は集まり支えられ、「みかさがわピカピカ大作戦」は大成功に終わりました。

 

「想い」は人に届く。何かを責めたり嘆いたりするのは簡単だけど、それは何も変わらない。行動すれば変わっていく。何よりも、こんなに素晴らしい大人の方が世の中には沢山いる!僕はゴミ拾いを通じて頂いた「ご縁」に成長させて頂きました。

 

社会人になって、折れた心

 そんな、楽しくて仕方が無い学生時代もあっという間に過ぎ、僕も社会人になりました。「地域と関わる仕事」がしたいと想い、とある会社に入ったのですが、そこで想いもよらぬ「事件」が発生します。

 

全ては、僕の弱さが原因なのですが、僕の中で描いてきた「理想」が音を立てて崩れてしまった瞬間でした。「挫折」です。もう2度と「ボランティア活動なんかやらない」と嘆いていたのを覚えています。その際に、中学生~大学生時に活動していた時の写真や資料なんかは全て破棄して一切の活動から離れました。

 

 自分がやってきた事が全て、嘘に思えてしまったからです。周りの人の顔色を常に気にしているような。そんな弱さ。それは今も引きずっています。

 

 あんなにも、ゴミ拾いや市民活動を通して、素敵なご縁を摘むんで、毎日が豊かになって、楽しくて仕方が無かったはずなのに、まるで、僕の視界にはモノクロームのフィルターをかけられたみたいに何もかもに否定的な気持ちしか持てない時期が数年、続きました。

 

2008年、Good Newsを結成

GoodNewsロゴ

ある日、友人と色々話している時にこんな話題があがりました。「社会人になって、あんまり本気で笑ってないな〜。テレビやニュースつけても暗いニュースばかり・・・」ネガティブ(笑)

 

そんな言葉が、しばらく瞳をそらしていた自分の「生きがい」にふっと触れた気がしました。想い返す度にちょっと心が痛くもあったのですが、燻っていた想いがあるのも事実。

 

このまま終わりたくないなと想い、「ねぇ、もう一回活動してみない?」と勇気を持って声に出してみました。「自分達が見たいと思えるGood Newsを、自ら発信出来る活動を。社会人になって皆忙しくなったけど、出来る事からはじめてみらん!?」Good Newsの結成です。26歳になった頃でした。

 

最初は、3人でゴミ拾い

活動場所は、生まれた町の久留米で、筑後川で!と僕の希望で、筑後川のごみ拾い活動から始まりました。

 

毎月第1土曜日にドライブしてゴミが多い場所を探して、翌週ゴミ拾いしてという流れ。3人でやっていたので、拾ったゴミも自分たちで持ち帰り。新車の車にゴミ袋から変な液体が漏れて大騒ぎになったりと、色々な事がありました。

 

年間1,000名以上が参加されるプロジェクトに

ゴミ日拾い

活動日は毎月第2土曜の午前9:30~11:00。場所は「筑後川防災施設くるめウス」」と決め、活動を開始しました。参加者の方も段々と増え続け、今では年間1,000名以上の方に参加して頂くプロジェクトになりました。参加者は2歳のお子さんから70代の大先輩方まで幅広く、スタッフの中には2歳から活動に参加して今では小学2年生になった女の子もいます。

10年の間に僕自身も含め、スタッフにも子どもが生まれるなど環境の変化がありました。それに併せ活動内容も少しずつ変わってきました。「子ども達には、ゴミ拾いよりも、まずは筑後川を楽しんで好きになってもらおう!」そこで生まれたテーマが「エコよりもニコ!」

ゴミ拾い

ゴミ拾い

これ、どこだと思います?どこか、山の方かなと思うでしょ?違うんです。これ、久留米の街中なんです。正式には筑後川と合流する支流「高良川」。実は高良川は水質は良好で、こうやって遊べちゃうんです。

時には、久留米で有名なボウリング場「スポガ久留米」さんとコラボして、廃ピンと川の水と水鉄砲で「廃ピン水鉄砲ボウリング」をしたり(笑)

日本一愛される、筑後川

 

一緒にカヌーなどして遊んだ子どもたちは目がキラキラ!「川大好きになった!また遊びたい!」と言ってくれます。そして「カヌーしてたらゴミがあったよ。今度のごみ拾いで拾おうね!」という声も。将来「そういえば、筑後川・高良川であんな事したな~」って思い出してくれたらそれで良い。川を好きになってくれた子どもは川を大事にしたいと思ってくれる。そんな子どもたちが増えたら、川は奇麗になっていくはず。今は昔と違って川で遊ぶ子どもたちの姿は減ったといいます。川と人の距離が近づき、愛される川になってほしい。いつからかGood Newsではこんな夢を語るようになりました。「筑後川を、日本一愛される川に」

10周年式典

そして、2018年9月8日(土)、Good News10周年記念式典を開催しました。

10周年は「ありがとう」を伝える日

今回、10周年を行うにあたって、決めていた事があります。それは、「10周年だ!Good Newsめでたい!」ではなくて、「今まで活動を支えてくれたすべての皆様に感謝を伝える1日にする事」でした。そこで、「表彰式」という形をとりました。式典には、国土交通省をはじめとした来賓の皆さん。いつも活動に参加してくれる参加者の皆様やスタッフたち。後ろから支え続けて来てくれた先輩方。22年前、僕をゴミ拾いに誘ってくれた親友達まで。来場者の方々の顔を見ているだけで、僕はもう、泣きそうでした。

Good Newsを応援してくれている、鳥栖PLUSの副編集長「井手口誠」に「泣いたら川に飛び込んでやるよ!」と言ってしまったので(笑)意地でも泣かないもんね!普段はいつでも川に飛び込んでるけど、式典の最中に飛び込めるもんか!泣きそうになったら、ライフジャケットもってニヤニヤして近づいてきやがるし(笑)みんな、良いやつばかりです。

表彰式も、沢山の笑顔が溢れていました。

 

35の企業や個人、団体を表彰させて頂きました。

 

子ども達もHERO

1歳から参加してくれている子ども達にも、表彰させて頂きました。筑後川にコミュニティ、笑顔が溢れるようになってきたのは子供たちのお陰です。本当にありがとう、小さなHEROたち!!

   

22年前、ゴミ拾いに誘ってくれた親友達も来てくれました

式典には、いつも来てくれるみんなや、久しぶりにあ会うみんなもいました。今回、その中でも一番感動的だったのは、22年前僕をゴミ拾いに誘ってくれた仲間たちが参加してくれた事。彼らがいなければ、今のGood Newsも、今の僕もなかった。まさにはじまりの場所ですね。もちろん、大事な仲間達も表彰させて頂きました。本当に凄いのは彼らなんです!

 

そんなこんなで、あっという間に終わった10周年式典。ここまで来たんだな~という気持ちと、10年経ってこれだけしか出来ていないのかという燻りと、色々な気持ちがありますが。とりあえずはひと段落、ここから、また次の1歩を歩みだしていくよ!

 

自分たちが見たいと思うGood Newsは自ら作る!

エコよりもニコ!で

日本一愛される筑後川を!

 

実はもう次の1歩は歩みだしています(笑)Good Newsは昨年度より国土交通省から「河川協力団体」に指定されました。九州中で活躍する河川協力団体の皆さんと交流ししながらスキルアップする日々です。

九州中の川に知り合い、友達が沢山いるって最高に楽しい!子どもたちと一緒に皆さんの川に遊びにいってます

日本一愛される筑後川へ向けて、川と人の距離を縮めていく様々な企画・社会実験を、国土交通省九州地方整備局の皆さんとこれからやっていきますので、今後とも応援、参加、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

 

河川協力団体Good News

団体名 河川協力団体Good News
公式HP http://www.make-goodnews.com

※Good NewsのHPはちょっとトラブルで更新が出来ない状態になっていますので、良かったら下記もご覧下さい(笑)

Blog 中島重人HP
公式HP https://goodnews-0215.localinfo.jp

 

 

この記事を書いた人

重人プロフィール
         

:中島 重人

鳥栖PLUS 編集長

14歳の頃から22年以上、河川活動に取り組む。Good Newsという団体で筑後川のゴミ拾い活動や自然体験活動を行っています。 家族は妻と長男、そして一卵性の双子の長女と次女の5人家族。2018年、地域プロジェクト「鳥栖PLUS」編集長を務めさせて頂く事になりました!楽しみます! ◆ブログ https://goodnews-0215.localinfo.jp/

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