シーボルトが太陽の高度を測定した制札場跡がある、鳥栖市轟木町の「日子神社」

     

2020年、本来であれば今年は「オリンピック・イヤー」。今頃は夏に向けて日本中が期待に溢れ、盛り上がっていたはずでした。

 

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大は留まる事を知らず、まだまだ先の見えない状況が続いております。今は「STAY HOME」。日本中の誰もが、みんなの明日の為に、我慢し、自粛すべき時です。

 

まぁでも、買い物に出かけたりする際に通る近所の風景を切り取り、鳥栖の「今」を切り取りコラムにすることぐらいは出来ればと思い、出来る範囲で記事を書いています。

 

今年も変わらず鳥栖には美しい桜の花が春を彩ってくれました。

 

 

そしてそして、ここにも鳥栖の春を彩ってくれてる美しい花たちが

そう、藤の花。

そしてツツジ。藤の花といえば、2019年は「真木の大藤」を紹介させて頂きましたね♪

 

 

今日ご紹介している「藤の花」が咲いているのは、こちらです。

 

轟木町の日子神社

轟木町の住宅街と溶け合うように、人々の暮らしを見守っている日子神社。

 

実は、さっと藤の花でも撮影して帰ろうと思っていたらとある看板が目につき撮影。実はこの日子神社、そしてその周辺の轟木町はすんごい所だったんです。

 

肥前鍋島藩の東端に位置する国境の宿場町

轟木宿は、肥前鍋島藩の東端に位置する国境の宿場町で、轟木川(別名番所川)を対馬宗藩との境界都市、番所が設けられ厳しい検問を行っていました。

宿場町は上町、中町、下町・新町の四町から成り、番所は上町に、幕府の布告、人馬の公定賃金などを書く制令は那珂町との角に、人足・馬を用立てる人馬置床は下町に設けられていました。

旅籠・焦点は中町・下町に多く、長崎屋・角屋・泉屋・柳屋など十三件の旅籠が並んでいました。また、藩境であったため、藩主の宿泊する御茶屋も中町の東側に建てられていました。新町には細工師・大工などが多く住み、職人町となっていました。

参照:鳥栖市教育委員会

 

 

そう、いわゆる「長崎街道」で有名な轟木宿があった地域なんですね。何となくでしかいつも見てなかったのですが、改めて見てみると、この轟木町にこんな歴史があったんだなって驚かされます。

 

この看板が立っている付近は、幕府の告示を掲げる高札場(肥前では制札場とよんだ)があったそうです。伊能忠敬はここを起点に測量し、シーボルトも太陽の高さを測量したのだとか。

思わぬ身近なところにも、貴重な歴史や文化遺産は残されているものなんですね。

 

こんなローカルだけど奥深いお話を掲載していけるのも「鳥栖PLUS」ならではだと思いますので、また発見があったら記事を書きますね。今は外に出るのは我慢すべき時なので、皆様から「鳥栖のこんな昔の写真見つかったよ」などの発見があった際は、ぜひ編集部までご連絡ください。

 

こんな時だから、出来る「何か」もきっとたくさんありますね♪

 

名前 日子神社
住所 〒841-0061 佐賀県鳥栖市轟木町1475

 

 

この記事を書いた人

重人プロフィール
         

:中島 重人

鳥栖PLUS 編集長

14歳の頃から22年以上、河川活動に取り組む。Good Newsという団体で筑後川のゴミ拾い活動や自然体験活動を行っています。 家族は妻と長男、そして一卵性の双子の長女と次女の5人家族。2018年、地域プロジェクト「鳥栖PLUS」編集長を務めさせて頂く事になりました!楽しみます! ◆ブログ https://goodnews-0215.localinfo.jp/

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